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熊本地方裁判所 昭和44年(ワ)86号 判決 1971年12月25日

原告

伊崎繁好

被告

熊本市

ほか一名

主文

被告らは原告に対し、各自金八四万六、六九四円およびこれに対する昭和四二年一一月二〇日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを八分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は「被告らは原告に対し各自金六二二万〇、四〇〇円およびこれに対する昭和四二年一一月二〇日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告熊飽土建合資会社および被告熊本市訴訟代理人はいずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

(一)  事故の発生

原告は、昭和四二年一一月一九日午後八時一〇分ごろ、熊本市神水町県庁前市道を自転車に乗つて走行中、たまたま道路工事のため掘下げてあつた側溝(幅約一メートル、深さ約一・五メートル)に自転車もろとも転落し、頸髄損傷の傷害を受けた。

(二)  被告らの責任原因

(1) 右の事故現場の道路は被告熊本市の管理にかかる市道で、同被告は当時被告熊飽土建合資会社(以下被告熊飽土建という)に請負わせて街路工事を実施していたものであるが人車の交通頻繁な市街地で道路工事を施行する場合、工事施行者は工事現場に標識用の柵を設け、夜間には赤色灯を点灯するなど交通の危険防止のため必要な措置を講じ、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにも拘らず、被告熊飽土建が右注意義務を怠り、危険防止のための必要な措置を講ずることなく放置していたために、原告が本件事故に遭遇したものであるから同被告は民法第七〇九条により原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。

(2) 被告熊本市は本件工事個所の状況が交通の安全性保持に欠ける状態であつたにもかかわらず、そのまま被告熊飽土建に工事を施行させていたものであるから、同被告は道路管理者としての管理義務を尽していない。したがつて、被告熊本市は国家賠償法第二条により、道路管理の瑕疵に基因する本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

(三)  損害

(1) 逸失利益 金二三八万三、四〇〇円

原告は右事故により頸髄損傷の傷害を受け、原告の現在の症状は、両下肢、躰幹ともに麻痺があり、固定装具を装着したうえでものにつかまらなくては起立できず、位置の移動は車椅子によらねばならない状態であつて、今後治療を続けても、将来独力で起立歩行し得る機能を回復する見込はない状態である。

原告は大正三年一二月一八日生れの健康な男子で、本件事故当時日雇人夫として稼働し、月平均少なくとも金二万五、〇〇〇円の賃金収入をあげていた。

本件事故による受傷がなければ、原告は、第一一回生命表による平均余命二〇・七八年のうち今後なお一〇年間は稼働可能で、その間少なくとも前記賃金を得ることができたはずである。

したがつて、原告の今後一〇年間の得べかりし利益をホフマン式計算方法により民法所定年五分の割合による中間利息を控除して現在額に換算すると、金二三八万三、四〇〇円となる。

数式-2万5,000×12×10×係数7.9449≒238万3,400円

(2) 慰藉料 金三〇〇万円

本件受傷による長期入院と今なお続く痛み、今後の機能回復の見込がないことなど原告の被つた精神的、肉体的苦痛は到底筆舌に尽し難いが、これを慰藉するには金三〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用 金八三万七、〇〇〇円

原告は弁護士坂本仁郎に本訴提起を委任し、手数料金三万円および成功額の一五パーセント以内の謝金を支払う契約をした。

よつて、原告は被告らに対し、右損害金の合計金六二二万〇、四〇〇円およびこれらに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四二年一一月二〇日から右支払ずみにいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告らの請求原因に対する答弁

請求原因第一項の事実中、工事のため道路を掘下げてあつた部分の深さを除いてその余の事実は認める。同部分の深さは六〇ないし八〇センチメートルである。

同第二項の事実中、本件事故現場の道路が被告熊本市の管理にかかる市道で、当時被告熊飽土建が被告熊本市から街路工事を請負つてその工事を実施中であつた事実および被告熊飽土建に原告主張のとおり注意義務があることは認めるが、その余の事実は否認する。

同第三項の事実は争う。

三  被告熊飽土建の主張

被告熊飽土建は本件工事現場付近に、標識板、バリケード、標識灯、赤色灯などを設置して交通の危険を防止するための必要な措置を講じていたにもかかわらず、原告は、本件現場付近を自転車で進行中に突然右折しようとして、右方へ通ずる道路の入口の位置を確認せずに右折を始めたために右方に通ずる道路の手前の床掘箇所に転落したもので原告が、自転車運転者として右折の際通常払うべき程度の注意をしてさえいれば本件事故は発生しなかつたものというべく、本件事故は原告の一方的過失に基づくものである。

四  被告熊本市の主張

被告熊本市は被告熊飽土建に対して、交通の危険防止のため万全の措置を講ずるよう指示し、同被告は右指示に従つて掘りおこした部分の両側に土を三〇センチメートルの高さに積み上げ、そのに縁に網を張り、夜間は赤ランプ、点滅灯各一個をつけ、その両端には工事標識、バリケードを設置するなど十分危険防止の措置をとつていたものであるから、被告熊本市は道路管理者としての管理義務を尽しており、したがつて、本件道路の管理には何らの瑕疵もなく、加うるに本件現場付近は、夜間でも付近に設置された水銀灯に照らされていて明るく、十分に道路状態を認識できる状況であつたにもかかわらず、原告は自己の不注意のために転落したもので、本件事故は原告の一方的過失にもとづくものである。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告が昭和四二年一一月一九日午後八時すぎごろ、自転車で熊本市神水町県庁前市道を健軍町方面へ走行中、道路工事のため掘下げてあつた側溝に転落し、頸髄損傷の傷害を受けた事実および右道路が被告熊本市の管理にかかる市道で、本件事故当時、被告熊飽土建が被告熊本市から請負つて道路工事を施行していた事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、先ず、被告熊飽土建および原告の過失の有無、程度について判断する。

〔証拠略〕によると、本件事故当時の現場附近の状況は、別紙図面記載のとおりであつて、歩車道の区別のある未舗装の道路(車道の幅員約九・二五メートル、歩道の幅員約三メートルと二・四メートル)と歩車道の区別のない幅員約五・三メートルの道路が交差する丁字型の交差点で、被告熊飽土建が道路側溝工事のために幅約一・四メートル、深さ約〇・八メートル、長さ約一九メートルの規模に亘つて路床を掘り下げていたこと、右工事現場には、同図面記載のとおり、徐行、工事中の立看板とバリケードが設置され掘下げた部分の両側にはその土を盛上げ、これが高さ二五ないし三〇センチメートルの堤状をなしていた事実(原告本人尋問の結果中盛土がなかつたという部分は前記各証拠に照らし採用できない。)および掘下げてある部分の両端には上端に赤ランプ(点灯していたかどうかはしばらく措く)の付いたポールが二本(別紙図面1および2)立てられていた事実、さらに、事故当日は小雨模様の天候であつたが、現場附近には熊本県庁の水銀灯およびバス停留所の標識灯が当時点灯しておりその照明で現場附近が道路工事中であることなど道路の状況を判断することは可能な程度に明るかつたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

ところで、右認定のポール上端に取り付けられた赤ランプが事故当時点灯しており、そのほかに、赤色の標識灯が工事現場に設置してあつて点灯していたとの被告らの主張についてみるに、〔証拠路〕によると、右ポール上端の赤ランプは乾電池を入れて点灯する仕組みになつているものであることが認められるところ、〔証拠略〕によると、本件事故直後の実況見分の際に調べたところ、別紙図面1のポールには電池が入つていなかつたことが認められるので、右1のポールの赤ランプは事故当時点灯していなかつたものと推認すべく、右2のポールの赤ランプが点灯しており、そのほかに本件事故現場附近に赤色の標識灯が設置されて点灯していたとの点については、〔証拠略〕中、いずれも右主張に副う部分は前掲各証拠に照らしてにわかに採用し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠は存しない(〔証拠略〕からは、直接、本件事故現場附近の状況を認定することはできない)。

次に、〔証拠略〕によると、原告は、別紙図面体育館方面から健軍方面に向つて自転車で走行中に、同図面バス停1附近で急に同図面八丁馬場方面に右折することを思い立ち、右バス停附近道路左側から右折を始め、同図面(A)点附近の掘り下げた場所に転落したものであること、右転落した場所は、右方に通ずる道路の側端から約二・二メートルの地点であること、および当時原告の乗つていた自転車には発電式のライトが点灯していたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

右認定の各事実を綜合すると、本件転落事故は、原告が自転車で右折進行する際に前方注視および進路前方の安全確認を怠たり盲目運転に近い状態で進行した原告の重大な過失に起因するものであることが明らかであるが、市街地の道路上で床掘り工事を行うに際しては、工事施行者には、前記認定の標識やバリケードの設置および盛土のほか、掘り下げた部分と路床の境界を明確にするための標識灯の設置および防護柵を設置するなどして人車の転落事故の発生を防止すべき注意義務があるものというべく、標識灯の設置等を欠いた点に被告熊飽土建にも工事施行上の過失が認められ、これを割合によつて示すと、原告の過失八割に対し被告熊飽土建の過失二割と認めるのが相当である。

したがつて、同被告は、民法第七〇九条により、原告の被つた損害の二割を賠償すべき責任がある。

三  次に被告熊本市の責任について判断するに、道路を管理する者は、その管理する道路を常時安全良好な状態に維持し、工事中で人車の進行に危険がある場合においては、その危険を防止するに必要な措置を講ずべき義務があるものというべく、したがつて、被告熊飽土建に請負わせて本件道路工事を実施した被告熊本市にも前記認定の被告熊飽土建と同様の注意義務があり、前記認定の事実によると標識灯の設置等を欠いた点に被告熊本市には道路管理の瑕疵があり、右瑕疵と原告の過失の割合は二対八の割合であると認めるのが相当である。

したがつて、被告熊本市は、国家賠償法第二条により原告の被つた損害の二割を賠償すべき責任がある。

四  そこで原告の被つた損害について判断するに、〔証拠略〕によると、原告は本件事故に基づく第二、第三頸椎間に生じた損傷のため下半身が全く麻痺し、自力で起立、歩行することはできない状態で現在娘夫婦の許で看病を受けて生活しているが、将来もその機能を回復する見込のないことが認められる。

(一)  逸失利益

〔証拠略〕を総合すれば、原告は大正三年一二月一八日生れ(当時五二年)の健康な男子で、本件事故当時日雇人夫として職業安定所の紹介による仕事に従事したり、直接建設工事現場で雇われたりして稼働し、月平均二万五、〇〇〇円を下らない収入を得ていた事実が認められるところ、統計(運輸省自動車局保障課「政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準」)によると、当時五二才だつた原告の平均余命は二一・三四年であるから、原告は本件事故による受傷がなければ今後なお一〇年間は稼動可能で、その間毎月金二万五、〇〇〇円を下らない収入をあげることが可能であつたものと推認することができる。

右損害額を損害発生時の一時払額に換算するためホフマン式計算方法に従つて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると、原告の得べかりし利益は金二三八万三、四七〇円となる。

月収 2万5,000円

就労可能年数 10年

係数 7.9449

計算式 2万5,000円×12×10×7,9449=238万3,470円

したがつて、被告らの負担すべき損害額は右金額の二割である金四七万六、六九四円となる。

(二)  慰藉料

右認定の原告の傷害の程度および現在の症状ならびに原告の年令、前記認定の原告の過失、その他諸般の事情を総合すると、原告の被つた精神的、内体的苦痛を慰藉すべき金額は金三〇万円と認めるのが相当である。

(三)  弁護士費用

〔証拠略〕によると、原告は昭和四三年一一月八日に財団法人法律扶助協会熊本県支部を通じて、弁護士坂本仁郎に対し本訴の提起と追行方を委任し、手数料金三万円および謝金として取得金額の一五パーセント以内の金員を支払うことを約した事実が認められるが、本訴の経過、前記認定額等諸般の事情を考慮し、原告が被告らに本件事故と相当因果関係に立つ損害として請求し得るのは、そのうち手数料債務の金三万円と謝金の一部である金四万円の合計金七万円であると解するのが相当である。

五  してみれば、原告の本訴請求のうち被告らに対し右合計金八四万六、六九四円とこれに対する被告らが遅滞に陥つた日(本件事故発生の日)の後である昭和四二年一一月二〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余の部分は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 美山和義 中村健 甲斐誠)

事故現場附近の状況図

<省略>

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